幕末という動乱の中、歴史のうねりに翻弄された志士たち。 一直線なまでの志を胸に秘め、時代を駆け抜けた新撰組のその生き様は、今なお、多くの人々が愛してやまない。 新撰組局長・近藤勇の全身石像を・・・、このお話をお受けしたときには思わず身震いしたことを完成した今でも鮮明に覚えております。 このようなお仕事をさせていただいたことを東京陵石は誇りに思うとともに心から感謝いたします。 現存する写真だけでは、正面しかわからない髪型など、近藤勇の墓所を管理する寿徳寺に伝わる話などを参考に再現いたしました。ご協力いただいた関係者の皆さま、誠にありがとうございました。 お近くにお越しの際は、是非石像前でしばし足を止め、雄大な歴史探訪をしていただければ幸いです。
幕末に大きな足跡を残した新撰組局長・近藤勇の石像が、北区滝野川七丁目のJR板橋駅東口前にある新撰組隊士の墓所内に完成し、二十五日の慰霊祭で除幕式が行われた。 石像は黒御影石製で、高さ1メートル。袴(はかま)に大小の二本差し姿。高さ1メートルの白御影石の台座の上に立つ=写真。近藤の胸像はほかにもあるが全身の像は珍しいという。 墓所を管理する寿徳寺(新井慧誉住職)に墓石を納めている埼玉県富士見市の石材店「東京陵石」(水谷秀雄社長)が、近藤の没後百三十三年に合わせて制作。写真では正面しかわからず髪型などは同寺に伝わる話などを参考に、半月がかりで仕上げたという。 近藤は一八六六年四月二十五日、板橋宿の外れで斬首(ざんしゅ)され、首は京都に送られ、胴体は近くの無縁仏をまつる塚に埋葬されたとされる。七六年に新撰組幹部の永倉新八らが、この場所に近藤ら隊士の墓碑を建立、毎年近藤の命日に新撰組隊士の墓前供養祭が行われている。 一九九九年には、寿徳寺と地元住民らが「近藤勇と新撰組隊士の墓所保存会」を発足し、墓所の保存と整備を進めている。