お墓のリフォーム
しかし、どんなに頑丈に作られた外柵でも時間の経過とともに石に傷がついたり、風雨の寝食で風化が生じたりします。また、地震や地盤沈下など天災による狂いもおこります。
弊社では、このような旧型、あるいは傷みを生じた外柵、納骨室(カロート)などの建て替え工事や補修工事のプランニング、お見積りだけでなく、花立や香炉、化粧砂利のご注文も承っております。
公営霊園のみならず、共同墓地、寺院墓地など、どのような墓地でもお問い合わせください。
リフォーム例
現代の世に至ってもなお脚光をあびる赤穂浪士。
その影で時代の波に翻弄された家族たちのその後が、無縁仏とはあまりにも悲しい。
事件の陰で思いもかけない運命をたどった女性の歴史が陽の目をみるのなら東京陵石は、その墓に息吹を与えたい。
その思いが今、形となって皆様方に見届けていただけるようになりました。
是非、見立寺に足をお運びください。
見立寺(けんりゅうじ)
埼玉県川越市元町2-9-11 tel:222-3321
小江戸川越七福神 第六番 布 袋 尊(HOTEISON) 大量
寿昌山了心院と号し、浄土宗に属します。永禄元年(1558)、小田原北条氏の重臣で川越の城将大道寺正政繁候が、感誉存貞上人を講じて開山されました。堂前のつげの古木の下に、徳本行者の名号稗と古誌に記されている石灯籠があります。現本堂は、明治14年建立のものです。
布袋尊は中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って各地を放浪し、吉凶を占い、福を施して倦むことがなかったといいます。又、未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められてきました。
小江戸川越七福神について
歴史と伝統のある川越は、一名「江戸の母」とも言われ、大江戸(東京)に対し「小江戸」と呼ばれておりました。今でも市内の随所に城下町のたたずまいを残し、文化財も多く、拝観や見学に訪れる人が年々増えております。
小江戸川越には、古くから七福神をお祀りしている寺々があります。七福神信仰は、室町時代末期より行われ「七難即滅、七福即生」の説に基づくものともいわれております。又家康公と関わりのあった天海大僧正は、天下泰平と人々の幸福を願って、七福とは清廉一恵比須天、有福一大黒天、威光一毘沙門天、愛敬一弁財天、人望一福禄寿神、寿命一寿老人、大量一布袋尊と申されました。江戸時代には、七福神めぐりをして無病息災、家内安全など諸願成就を願う人々が寺社をめぐり参詣していたものです。
小江戸川越七福神めぐりは、全行程約6km、東武東上線川越駅や川越市駅、西武線本川越駅を起点に徒歩でも半日、観光と健康増進を兼ね、丁度手ごろなコースです。初詣をはじめ、毎月1日のご縁日にもご家族揃ってお参りをされ、皆様のご健康と諸願成就をお祈り下さい。
新聞記事内容~赤穂浪士の妹 川越で墓碑確認 郷士史家ら 足取りなどを調査
江戸時代に主君の仇(あだ)討ちをした赤穂浪士の一人、矢頭右衛門七(やとう・えもしち)の妹の墓が川越市元町二丁目の見立寺にあり、墓碑を確認した郷土史家らが「事件の陰で、思いもかけない運命をたどった女性の歴史を浮き彫りにしたい」と、足取りなどの調査を始めた。
同寺に妹の墓があることは、浪士の地元の兵庫県赤穂市の市史綱さん室でもつかんでいる。
しかし、無縁仏になり、今ではどこに墓碑があるのか、地元でもよく知られていなかった。川越市内の郷土史家小泉功さん(69)と吉野侑男さん(70)らが昨年夏、妹の嫁いだ「多加谷家」の墓碑を捜し、その側面に妹の戒名と死亡年月日が刻まれているのを確認した。
戒名などは風化し、墓碑はひっそりとしている。
小泉さんらの調査では、妹は右衛門七兄弟の次女。一七〇二年十二月の討ち入りを前に、女ばかりとなる一家の行く末を案じた右衛門七は、母親と妹らとともに叔母の嫁ぎ先の奥州白河藩(福島県)の武家に預けるため大阪を出発した。途中で女子の通行手形がないという理由で通れず、大阪の知人に預けたまま討ち入りに加わり、翌年二月に切腹した。十八歳の若さだった。残された母と妹らは、幕府に窮状を認められ、白河の親類の多加谷家に引き取られる。
次女は同家の次男と結婚するが、一七四九年に白河藩主の国替えとともに上州厩橋(前橋市)、さらに同六七年には川越に移住した。七十歳代になっていたと推定され、翌年三月に病没したという。
系図や関係した地域の資料が十分でないため、詳しい生活の様子などは不明。小泉さんらは前橋などにも出かけ、男性社会の中で埋もれた女性の歩みを調べたという。赤穂市の市史編さん室は「浪士の遺族は全国各地に散らばり、東京や白川などへも散った記録があります」という。
(H9.1.22/朝日新聞から)
お墓じまい・お引っ越し
「お墓じまい」「お墓のお引っ越し」とは
「お墓じまい」とは、お墓の跡継ぎが途絶えいずれお墓が無縁墓になってしまった場合、お墓を撤去し墓所を更地にして、使用者に墓所を返還することです。
「お墓の引っ越し」とは、お墓が遠方にあり管理・維持が厳しいとか、菩提寺(寺院墓地)の宗旨、宗派から事情により変えざる負えない理由が発生した等様々な理由がございます。
その場合はお墓じまいと新しいお墓の準備をセットで進めることをお勧めします。
最近の傾向としましては 少子化やご夫婦の考え方によりお墓に関する価値観の変化等により、お墓じまい・お墓の引っ越しが平成から令和になりやや増加傾向となり、今後も過疎化、少子化や昨今の感染症による新しい形態の変化によりお墓じまいをご検討される方がますます増加するのではないかと考えております。
お墓じまいと言っても 何から手を付けていいのか、皆目見当もつかない場合がたくさんあるかと存じます。
先ずはお電話かメールにてお問い合わせいただければと存じます。
お墓じまいの流れ
上記は、お墓じまいの作業に関する基本的な流れです。
ただ実際には、お墓じまいに至る理由は1つではありません。
皆様それぞれの理由があり、まさに千差万別で、お客様によって様々です。
極端な例ですが、お話を聞かせていただくと、お墓じまいをしなくても済む場合もあります。
お墓を撤去して新たに新設することは、費用を含め大変な労力かと存じます。
例えば、お墓じまいする墓石を移転先の墓所で再度利用するといったことも、受け入れ先の墓所によっては可能な場合もございます。
お見積りは二の次に考えていただき、まずはお問い合わせいただければと存じます。
また、現在、他の石材店にお見積りをご依頼中の方でも、その見積りが適正か否かよくわからない…ということもあるかと思います。
りょう石では、お客様の立場に立って、「セカンドオピニオン」的なアドバイスもさせていただいていますので、まずはお問い合わせいただければと存じます。
その上で数社からの石材店から見積りを取り、ご予算、ご希望等と照らし合わせながら、そのサービス内容を比較検討することをおすすめ致します。
お墓じまい・お墓の引っ越しは、一生に一度あるかないかの行事となります。
「予算オーバーしてしまった」「イメージと違った」といったことのないように、よくご家族でご相談の上検討されることをおすすめ致します。