エリア別情報~川越市

川越 時の鐘

川越の概要・歴史

概要

江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄え、「小江戸」(こえど)の別名を持つ川越は、城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では神奈川県鎌倉市、栃木県日光市に次いで関東地方で3番めの多さを誇り、国から「歴史都市」に認定されています。(ちなみに埼玉県内唯一の認定)
2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で半減してしまったものの、市内の観光名所には年間約800万人前後の観光客が訪れるほどの観光都市となっています。

歴史

川越城を擁する川越藩は江戸幕府の北の守りであり、武蔵国一の大藩としての格式を誇り、酒井忠勝・堀田正盛・松平信綱・柳沢吉保など大老・老中クラスの重臣や御家門の越前松平家が配置されていました。
そのため、江戸時代から商工業や学問の盛んな城下町であり、今日でも多くの学校を有す文教都市となっています。
川越藩の藩主は歴代、武蔵野の開発に力を注来ましたが、特に松平信綱は玉川上水や野火止用水、新河岸川の開削、川島大囲堤の築造、川越街道の改修を行いました。

川越藩は農産物や絹織物・工芸品など市場競争力のある特産品を開発をしてきましたが、特に有名なのは、川越藩領の狭山丘陵で栽培が進められた「狭山茶」、武蔵野の開墾地で栽培が盛んになった「サツマイモ」でしょう。江戸時代に焼芋が江戸で流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ「栗よりうまい十三里」というフレーズと味の良さで持て囃され、「芋の町」のイメージも定着しました。
川越はこうした領内や秩父など近郊からの物資の供給地として「江戸の台所」と呼ばれ繁栄してきました。

川越藩は石高で武蔵国では最大、関東でも水戸藩に次ぐ埼玉県下随一の城下町だったので、廃藩置県では川越県、次いで入間県の県庁所在地となりました。
入間県は現在の東京都武蔵野市周辺から新座や秩父・熊谷・本庄まで含んで発足、入間県の面積は現在の埼玉県の7割を占めていました。
現在の埼玉県成立後、最初に市制を施行したのも川越で、米穀取引所や民間による銀行(川越銀行や川越商業銀行)の設立や商工会議所・医師会の発足なども埼玉県内で最初でした。
また、埼玉県で最初に火力発電所や水力発電所を設け、埼玉県下で最初に電灯が燈ったエリアでもあります。

交通

川越市内には10駅、ほぼ半分が川越市側の鶴ヶ島駅を入れると11駅あり、うち中心市街地には「川越」「川越市」「本川越」の3つがあります。
なかでもJR・東武東上線川越駅は1日約20万人が乗降する、埼玉県内では大宮駅に次ぐ2番目のターミナル駅で、近接する西武新宿線本川越駅と東武東上線・川越市駅を含めると、3駅で約30万人の乗降客数がありますが、川越駅の開業は中心市街地の駅の中では実は最も遅く、川越線の開業に伴う駅名改称と、市街地の南下により市を代表する駅(現市街地の玄関)となりました。
川越駅が中心駅となるまでは、西武の本川越駅や東武の川越市駅周辺が街の中心地及び中心駅で、実際、観光地で有名な旧市街地もこちら側が玄関であり、距離的にも近くなっています。

川越街道(現・国道254号)は室町時代から、江戸時代からは新河岸川舟運で、川越は江戸と直結した物流の要衝となっており、1971年(昭和46年)には埼玉県内で最初の高速道路として「東京川越道路」(現・関越自動車道)が練馬IC – 川越IC間で完成しました。
また、主要道路として、国道16号(東京環状)や、現在は首都圏中央連絡自動車道(圏央道)も通じています。

 

川越の名所・史跡情報

喜多院

川越 喜多院
喜多院は「川越大師」と呼ばれ、関東天台総本山とされています。830年(天長7年)に創建され、慈眼大師によって隆盛を極め、徳川家康も論議を聴きに参詣していました。狩野吉信の職人尽絵屏風など多くの国の重要文化財を有しています。
1638年(寛永15年)の川越大火でほとんどが焼け落ち、「徳川家光誕生の間」「春日局化粧の間」など江戸城紅葉山にあった建物の一部が徳川家光の命でここに移築され、重要文化財として江戸城の貴重な遺構を今に伝えています。
1782年(天明2年)から半世紀を費やして造られた「五百羅漢」は日本三大羅漢の1つとなっています。また、毎年1月3日の初大師の日にだるま市が開かれ、その日だけで30万人以上の人出があります。

時の鐘

川越のランドマークになっている「時の鐘」。3層構造、高さ16メートルで、寛永年間に藩主だった酒井忠勝が建立した鐘楼です。
現在の鐘楼は1893年(明治26年)の川越大火の翌年に、次の1万円札の肖像にもなり、晩年を川越で過ごした渋沢栄一の資金援助や明治天皇からの下賜金で再建されたものです。
400年近くにわたって川越城下に時を知らせており、今も機械式で一日4回、銅鐘を打っています。環境省選定の「日本の音風景100選」にも選ばれています。
川越 時の鐘

川越城(初雁城)

川越城
太田道真・道灌父子が1457年(長禄元年)に築城した川越城は別名「初雁城」と呼ばれ、関東七名城・日本100名城の1つにもなっています。川越市役所前(川越城西大手門跡)に太田道灌の立像があります。
明治維新以降、川越城は少しずつ縮小されましたが、現在も大広間、移築復元された家老詰所、および玄関が現存しており、埼玉県の重要文化財に指定されています。
本丸御殿は江戸時代後期の藩主・松平斉典が建立し、入間県県庁舎ともなりました。本丸御殿大広間が現存しているのは、日本では川越城の他には高知城のみで、非常に貴重な遺構であり、富士見櫓跡なども残っています。

川越氷川神社

川越氷川神社の歴史はたいへん古く、欽明天皇の即位2年(541年)に蔵一宮である大宮氷川神社を分祠したことに始まったと伝えられています。後、太田道灌が川越城を築城して以来、川越の総鎮守として崇敬され、歴代藩主が篤く信仰するとともに、「お氷川様」と呼ばれ親しまれてきました。関東三大祭りの1つである川越祭りの正式名称は「川越氷川祭」であり、氷川神社の祭礼です。朱塗りの大鳥居は木造としては日本最大で、扁額は勝海舟の書。境内には柿本人麻呂を奉る人麻呂神社や、江戸城二の丸にあった東照宮本殿を移築した八坂神社もある。8月には薪能も行われる。夫婦円満・縁結びの神様として信仰を集めるパワースポットとして知られ、近年は外国人の参拝が多くなっています。
氷川神社

 

川越のお墓・墓地・霊園

小江戸聖地霊園

小江戸聖地霊園
永代供養付き墓所

埼玉県川越市下松原354-2
(東武東上線上福岡駅から車で9分)
宗教不問

川越山城霊園

川越山城霊園
緑につつまれた大型公園墓地

埼玉県川越市池辺180-1
(JR川越線的場駅から車で約7分)
宗教不問

観音寺 花壇墓・永代供養墓

観音寺 花壇墓・永代供養墓
川越・菓子屋横丁そばの花壇墓・永代供養墓

埼玉県川越市石原町1-18-1
(東上本線川越市駅から徒歩16分)
宗教不問

 

隣接している自治体

● 上尾市
● さいたま市
● ふじみ野市
● 富士見市
● 所沢市
● 狭山市
● 日高市
● 鶴ヶ島市
● 坂戸市
● 入間郡三芳町
● 比企郡川島町
 
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