さいたま市の概要・歴史
概要
さいたま市は、埼玉県の南東部に位置し、埼玉県の県庁所在地で、政令指定都市担っています。
都市雇用圏における東京都市圏の中心都市の一つであり、10区の行政区を持っています。
2001年(平成13年)5月1日に、浦和市・大宮市・与野市の3市の合併により新設され、2003年(平成15年)4月1日に政令指定都市に移行し、その後、2005年(平成17年)4月1日に東に隣接する岩槻市を編入して現在の市域となりました。
日本における100万都市の1つであり、日本の市で9番目の人口を有し、21県の総人口を上回っています。
● 大宮区 ● 見沼区
● 中央区 ● 桜区
● 浦和区 ● 南区
● 緑区 ● 岩槻区
歴史
かつて徳川家康は、関東における支配を固める過程で、江戸の近隣に幕府領や旗本領、譜代大名を多く配置しました。江戸時代の幕藩体制下で現さいたま市域におかれた藩としては、岩槻城を藩庁とする岩槻藩があリます。
また、江戸時代に、現さいたま市域において街が形成されていたのは、浦和宿、大宮宿、与野町、岩槻町および大門宿の5か所で、このうち、唯一の城下町である岩槻町と大門宿が、将軍の日光参詣や岩槻藩の参勤交代の経路として用いられた日光御成街道の宿場町となっていました。
その後、明治維新における廃藩置県(明治4年〈1871年〉)へと移行してゆく中で、現さいたま市域では明治2年1月28日(1869年3月10日)に大宮県が設置されましたが、大宮県の実質的な県庁機能は東京府日本橋馬喰町に置かれていました。同年9月には県庁が浦和宿(現:浦和区)に移転し、県名も浦和県へと変更されました。一方、岩槻藩は1871年8月29日(明治4年7月14日)の廃藩置県により岩槻県となり、その後、同年11月に、浦和県、岩槻県、忍県が合併して埼玉県が誕生、県庁は旧浦和県庁に置かれた。
日本初の鉄道開業(新橋駅 – 横浜駅〈現:桜木町駅〉間)から11年後の1883年(明治16年)には、日本鉄道の上野駅 – 熊谷駅間(現:宇都宮線・高崎線)が開通し、現さいたま市域では初の鉄道駅である浦和駅が開業しました。
1927年(昭和2年)に埼玉県知事に就任した宮脇梅吉は、県庁のある浦和の単独市制もしくは浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏実現を構想、日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」を強く提唱しました。しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的で実現しませんでした。
その後も案が出ては立ち消えとなってきた合併構想も、2001年についに合併構想が結実し、浦和・大宮・与野の合併によりさいたま市が発足し、2005年には岩槻を編入して現在に至っています。
「さいたま市」の名称は、当時の新市名検討委員会から、「新市の市名は公募することが望ましい」という報告があり、公募されました。全国から67,665件、8,580種類の応募ががありましたが、その結果は、「埼玉市」が1位(7117票)、「さいたま市」が2位(3821票)でしたが、県内他自治体から「『埼玉』などの名称を使用しないでほしい」という要望もあり、現在の「さいたま市」に決定しています。
交通
現さいたま市域を通る路線や駅は次第に増加し、4つの事業者が運行する11の旅客鉄道路線と、31の鉄道駅があります。
旅客鉄道路線の多くは南北方向に通じており、東京大都市圏における放射状の路線をなしています。
特に大宮駅以南は、京浜東北線、宇都宮線・上野東京ライン、湘南新宿ラインの3複線となっており、多数の列車が運行されており、大宮駅以北でも、宇都宮線・高崎線が都心へのアクセス路線という重要な役割を果たしています。
31の駅のうち大宮駅・浦和駅・南浦和駅・さいたま新都心駅・武蔵浦和駅・北浦和駅の6駅は、JR東日本の乗車人員ランキング上位100位内にランクインしています。
高速道路は東北自動車道、東京外環自動車道、首都高速道路も埼玉大宮線、埼玉新都心線が通っており、都心からのアクセスも非常に良くなっています。また、国道16号(東京環状)、国道17号(中山道)をはじめ多くの国道が通っており、交通の主要拠点となっています。
さいたま市の名所情報
さいたまスーパーアリーナ
「スタジアムモード」「アリーナモード」「ホールモード」等、用途やイベントの規模に応じて、ブロックに分かれて会場を利用することもできるように設計されています。
大宮ソニックシティ
「SONIC」の名称はそれぞれ「埼玉県」(Saitama)・「大宮市」(Omiya)・「日本生命」(Nihon-seimei)・「産業」もしくは「国際」(Industry/International)・「文化」もしくは「コンベンション」(Culture/Convention)の頭文字を意味しています。
慈恩寺
1955年(昭和30年)に日台友好のため、台湾に分骨され、現在は日月潭の玄奘寺に奉安され、1981年(昭和56年)には、法相宗の薬師寺にも分骨されており、現在は境内の玄奘三蔵院に奉安されています。
また、当寺を由来として大字慈恩寺の地名があります。
さいたま市歴史散歩~さいたま市桜区編~
神明寺古墳(さいたま市桜区塚本246)
近くには、さいたま市桜区塚本薬師堂(石橋供養塔)があります。
そのほか近くには文明堂さいたまあおぞら工房がありカステラの定番商品も販売しており、工房限定商品、試食もって、人気急上昇中です。
※大久保古墳群
白鍬塚山古墳と円形周溝墓・白鍬宮腰遺跡1から7号墳・白鍬遺跡1号墳・かね山古墳・権現塚古墳・本村古墳・塚本塚山古墳・神明寺古墳・外東遺跡1号墳
塚本薬師堂(さいたま市塚本66-1)
塚本薬師堂の創建年代等は不詳ですが、新編武蔵風土記稿に「弘法大師の作れる薬師を安ず、西方寺の持なり」とあり、以前は西方寺で曹洞宗の離れ墓地のようでしたが、昭和16年から管理寺院は曹洞宗大泉院とされます。
所蔵の文化財「薬師堂のマキ」は、さいたま市の指定天然記念物として愛されている。
大泉院(大久保領家363)
徳川家康が関東に入国した天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を拝領、その後、桂全寺・明照寺を中興した春日下総守景定(天徳院全叟不安居士、元和2年1616年寂)が中興したと言われており、春日氏の墓は市指定史跡に、ウスギモクセイが市指定天然記念物となっています。
文明堂 さいたまあおぞら工房(さいたま市桜区在家182)
営業時間は朝9時から夕方5時30分で、定番商品に加え、工房限定の出来たて商品もあり、試食もたくさん用意あります。
購入したお菓子を、ゆっくりくつろぎながらいただけるラウンジも2Fに設けられ、「こだわりのコーヒー」と「無料のドリンク」が用意されています。
さいたま市のお墓・墓地・霊園
清河寺墓苑
歴史に時を刻む名刹
埼玉県さいたま市西区清河寺792
(川越線西大宮駅から車で4分)
臨済宗
観音寺墓苑 永代供養墓
年間管理費、護持会費等一切不要
埼玉県さいたま市西区中野林210-1
(川越線西大宮駅から車で8分)
宗教不問
観音寺 花壇墓・永代供養墓
土佐藩山内家一族の菩提寺
埼玉県さいたま市西区中釘1218
(川越線指扇駅から車で5分)
浄土真宗